母の介護日記 15

夜中に起きて咳をして痰を出しているが、うまく出ないらしい。起きて背中を叩く。自力で痰が出た。「もういい」「あー苦しかった」「息ができなかった」

この現象があっても、私が医療従事者だったとしても背中を叩くくらいしか自分に能力がなく、自力で痰を出せない母を見ても何もできないと思った。幸いに訪問看護に手続きしていて直ぐに電話一本すれば来てくれる手筈になっているが、来てくれるにしてもとてもそれでは間に合わないと思った。

介護で吸引機をレンタル出来るか聴いてみようと思った。

母が「もう寝ていいよ」と私を気遣うが、心配になり眠れない。明後日から6日間ここを留守にするのだ。こんな不安な状況があって余計に考えてしまう。まだ自力で痰が出せてるから大丈夫だが心配な状況ではある。

次回訪問看護師が来た時に相談することにする。

心配は尽きない

母の介護日記 14

母は変化なくいつものようであったため、書くのが久しぶりである。

今日はデイサービスに行って帰ってきて「疲れた、あー疲れた」と連呼する。デイサービスのイベントで梅園の花見が予定されていた。初めっから観れないから行かないと言っていたので行かないものだと思ってレクのお手紙の返事を書かなかった。それが間違いだったと気がついた。母が断るものと思って何もしなかったら、行くと言う事になったらしい。母は周りの状況に敏感で、自分1人が残ったら迷惑かけてしまうと思い「いく」もしくは「行ってもいい」と返事をしたのではないかと思われる。

行ったは行ったが何も見えるわけがなく、降りても迷惑だからと車にずっと座ってたらしい。帰って来て「もう、2度と行かない」という。あんなに行かないと言っていたのだから行かないと言えば良かっただけだろうと言ったがこれが言えないことが分かった。この次のイベントの時はよく話をして結論を出してデイサービスの職員に伝えようと思う。

帰ってきて、1時間ばかりベッドに横になってもらう。少し回復している。やはり体力が低下しているので、長時間のイベントは無理である。

本人の意思を職員に伝えないと、本人からは遠慮があって言えない。

母の介護日記 13

夜中の1:00眼を覚まして夢を見た

夢の内容

リハビリをして痛いと言ったがやってくれたけどその後立てなくなってしまった。「あーこらぁもうだめばい立てんようになってしもうたと思ったら立てた。あー良かったと思って周りを見回したら誰も居なかった。という夢、たった今目が覚めたと言う。見てると目がクルクル動いてたりするから夢を見てるのかなぁと思う事が有る

歩けなくなる状態がとても怖いと言うからこの様な夢を見るのだろう。

ずっと死ぬまで夢を見るとしたら良い夢を見たいと思った。良い夢を見させてあげたいなぁ

引き続き夢の中に居る母はどんな夢を見てるのかなぁ

母の介護日記 12

今日はデイサービスの日8時30分に出かけた。

私は午前中温泉に歩行浴に出かけた。1時間みっちり歩いて、それから低周波治療してサウナに入って、マイナスイオン風呂に入って約3時間余り入浴に要した。

帰ってから食事をして、パン作りを始める。生地ができて寝かして本日は終了。

夕方佐和子おばさんから電話が入る。今日来っとよねと言われ、約束を思い出した。漬物を持参するといった。糠漬けで漬け込んだ白菜ときゅうりを持参する。何も無かったために慌てて大福3個作る。

1人で自室に行った母を思い出し行ってみると、部屋が暖房が入ってなくて寒くて、部屋の雨戸が空いたままで自分で閉めたという。雨戸が閉めてあり暖房もついてる。凄い、やればできる母だ。寒かったようでちょっと文句を言われた。それはもっともな話だ。夕方になれば雨戸を閉めエアコン入れて部屋ぐらい温めておいて欲しかったんだ。私が出来なかったことを反省する。

夕食後従姉妹の家に行くと母に告げて出かける。

従姉妹のさっちゃんがさつま芋の牛乳寒天を作ってくれていた。すごく美味しかった。

母は遅くならないように帰って来なさいと言ったが、帰ったのは23時30分だった。

母は寝ていた。

介護もだんだん私のわがままが目立ってくる。

母の介護日記 11

今日は珍しいお客様が二組も有って母も大喜びしました。

先ず母の実家の隣の娘さんがご主人と2人で来られました。その私の母と姉妹の様に育った隣の娘さんの母親が94歳で他界し49日法要が終わったとご挨拶に来られました。

時には涙し、話に花が咲いていました。

1人目と2人目の間に掃除のヘルパーさんとリハビリの方と研修生の方がみえてリハビリを受け母は気持ち良さそうでした。

2人目のお客様は母の妹の息子夫婦で、大磯から来ました。

今日の朝息子夫婦は家を早く出たにも拘らすチェックイン済ませていたので油断してゆっくりしてたら、手荷物検査が修学旅行生と勝ち合い、おお混みで羽田空港で予定の飛行機に乗り遅れるハプニングがあった様です。混んでたために乗り遅れたということで次の飛行機にシフトしていただいた様です。良かったです。

息子夫婦は両親の法事を明日予定しています。

母はもう会えないかもしれないと近くで妹の息子を確りと見て握手していました。その嫁には手をとって息子を頼むと何度も言っていました。

私はこれが最後で、もう死んじゃって会えないかもしれないから確りと見ておきなさいと言い添えました。従兄弟にそんな死ぬとか言うなよと言われちゃいましたが、事実です。いつどうなるか分かりません。良かったです。

今日は疲れちゃったみたいで寝ました。私もそろそろ寝ます。

 

明日は西村の母の実家に行くぞ

 

母の介護日記 10

今日はデイサービスに行った母を見送り、自分はウッドカービングの鳥の仕上げをした。

帰って来るまでには出来上がって、母に見せたら「よかばってんこんなに作ってどぎゃんすっとか」って聴いてきたから笑った。出来栄えはともかく、どうすることもない暇つぶしだった。出来た鳥がメチャクチャ可愛い。“囀りさっちゃん“と命名する。

物を作るってどうしてこんなに楽しいのだろう。DNAにものつくりの喜びが組み込まれてるとしか言いようがない。

20時に早々と、準備して足の運動をすると私に告げ母は寝室へ行ってしまった。

そこから台所の後片付けをして、メールを見て返事をしてたら遅くなった。まあ良いやとそのままずるずるテレビを見て過ごしてはっと気がついたら0時に近くなっていた。慌てて歯磨きをしてこのブログを書いて就寝する。

そうだった、夕方に明日のリハビリについて電話が入り、1時間早くしたいこと、研修生を連れて行きたいが良いかとの連絡を受けた。明日は3時から母はリハビリとなった。

母には暇つぶしのカービングは理解不能、明日へ続く

 

母の介護日記 9

今日は昨日から来ていた甥っ子だが母からすれば初孫男子であり特別な存在だ。来てくれただけでとても喜んでニコニコしている。

甥っ子は昨日来た時に母と亡き姉にお花を持ってきた、流石気が利いている。

朝はいつもの様に「6時30分ばい、芳子さんもう起きよう」と声かけられてキッチンへ。食事の準備を済ませて義兄はテレビのゴルフを見ている。松山は予選落ちしてしまったとがっかりしている。タイガーウッズはなんとか残ってプレーしているという。義兄は朝からゴルフのことで一杯だ。

夕食が済んで、甥っ子が帰った後私は母に歩きに温泉に行くからベッドで寝ている様にと言い残し車で出かける。

帰ってきた時にはベッドに横になっている。帰ったら起きて待ってたんだと言う。それはダウンジャケットが台所に脱いで置いてきてしまった。着て寝ないと寒いから取りに行って持って来て欲しいと言われた。

居間のソファーの頭の方にかけてあったダウンジャケットを寝ている所にに持参すると、直ぐに着て脚の運動をするという。シックスパッドの準備をするが、今度はリモコンが見つからない。どこを探してもない。昨日使ったはずだが何処をひっくり返しても無い。リモコンなしでセットして12ダイアル22分使用する。長足背がとても浮腫んでいる。最近気を付けていたのに、どうして浮腫んでしまったのだろう。

心配…。

明日はリモコン探しだ